4巻は、本能寺の変の話。
「敵は本能寺にあり」から毛利に使者を送るところまでですね。
 
センゴク一統記(4) (ヤングマガジンコミックス)


当時の本能寺があった場所についてですが、堀川通と烏丸通の間、三条と四条の間だとすると、京都市の中心部ですね。
また、石垣はないにしても堀はあって平城のような構造になっていたと。

市街の中心部だったとすると、夜や明け方とはいえ軍隊が人に気づかれないように移動するのはかなり大変そうです。

鉄砲の殺し間の戦術で明智軍と察知したという描写ですが、明智のオリジナルだったとしても別に他の織田軍だって使ってただろうと思いますけどね。演出としてはかっこいいですが。
実際には、旗の桔梗の紋を見て明智軍と察知したという話だったかと思います。

本能寺の変のあたりは色々な話が残ってますよね。
たとえば信長は謀反と聞いて最初は長男の信忠だと思ったとか、明智だと聞いて「是非に及ばず」と言っただとか。
信長と蘭丸の会話だとすると誰が聞いていて後世に残したんだという気がしますが。


信忠について。
信忠が逃げのびていれば織田政権は続いただろうというのは歴史のIF物語ですね。
実は逃げのびるチャンスはけっこうあったらしいとか、光秀謀反と聞いて信忠がそれなら手抜かりはないだろうと諦めたとかという話も聞いたことがあります。
センゴク一統記では、光秀が裏切ったくらいだから他の重臣も信用できない、いっそここでという感じでしょうか。


本能寺の変後の光秀について。
どんな国を創るつもりかと問われて「下が天となり天が下なる政に候」と答えてます。
変の前の連歌会で明智光秀が書いたという発句「ときはいま あめがしたしる さつきかな」から書いてるんですかね。

「天に君臨すれども統治せず 政は下から上へ民の声にて築き上げる」というのは民主主義ということですね。
市民革命も経ずにいきなり民主主義というのは、そりゃあ細川藤孝さんも恐ろしくて泣くでしょう。

かくも壮大な三層戦略が
僅か数日で築かれようとしていたのである
光秀の有能さを示すものですが、しかし残念ながらことごとく失敗してますね。

第一の『「安土」と「京」を掌中にすること』ですが、原因ははっきりわかってないようですが変後まもなく安土城は焼失してますし。

第二の『濃尾と畿内をおさえて軍事の基盤を作ること』と第三の『旧織田軍の外側に包囲網を作ること』は、どちらも秀吉の中国大返しが早すぎて必要な時間がなかったために失敗してますね。

いよいよ次の巻は秀吉の中国大返しですかね。



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センゴク一統記3巻「我が天下の主とならん」




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